読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

うつ病という「性質」の話

まずは私の経歴を軽く書いておく。

・大学卒業後、都内IT企業に正社員就職

・3年目にうつ病を発症

・5年目に1ヶ月半休職

・復帰後は週2勤務のパートになる

 

弊社はいわゆるベンチャー企業。社員の数はもう5年くらい45人前後を右往左往している。勤続10年以上の社員が10人もいないので、私もちょっとした古株扱いを受けている。

私は2年目のときにチームリーダーを任された。念のため言っておくと、立候補ではない。どちらかといえば事務仕事や単純作業、プログラミングのほうが好きだし向いている。しかし当時の現場には、そんな個人の特性を無視して然るべきほど膨大な数の仕事があった。猫の手も借りたかったわけである。

チームリーダーの繁忙期は長かった。1年目で右も左もわかっていない後輩に指示を出し、打ち合わせに出向き、経過報告をしたりされたり、通常業務をこなしつつ緊急発生した課題にも取り組まねばならない。さすがに顧客の相手はさせられなかったが、大手同業者の相手は毎日させられた。風が吹けば飛ばされそうな小さな未上場企業の2年目が、N●TデータやらIB●の部課長クラスに意見を述べねばならなかったのである。心労は察してほしい。

そんなわけで昼休みは毎日潰れて、お昼を食べるのはいつも17時くらいだった。あの頃は朝の9時から夜の23時までが私の業務時間だった。終電で帰った回数は覚えていない。終電を逃してタクシーで帰った回数も、片手では足りないだろう。

大学までに培った体力と若さのおかげで、私はやり遂げた。限界ギリギリだった。徐々に仕事が減っていき、お役御免となった私は無事に別チームへと移動した。そこは長すぎる打ち合わせと資料の作成とレビューを繰り返すだけの平穏なチームだった。私の業務時間は朝9時から夜の20時になった。

おかしいなと思ったのは移動後すぐのことだった。

朝起きられない、集中できない、言われたことをすぐに忘れる、勝手に涙が出る、夜眠れない…そんな諸々の症状を繰り返して、私は「これはうつ病だ」と気づいた。3年目のことだ。

半年はごまかしごまかしで過ごしていた。しかし症状は改善しなかった。休む日が増え、仕事のクオリティが下がり、さすがに焦った。11月、私は出勤途中の駅のメンタルクリニックを訪れた。

そのクリニックは、部屋の色合いはとても和やかなのに、雰囲気がどこか冷たいのが印象的だった。30後半くらいの男性医師がたったひとりで診ているので、待合室は小さかったけれど、それでも毎回数人の患者がいる状態だった。

医師は私の発言を逐一パソコンに打ち込むと、「うつ病ですね」と言った。「強迫性障害も併発しているかもしれない」。

薬を出されたが、飲む気にはならなかった。ためしに薬品名で検索すると副作用がずらりと並んでいた。そのクリニックには月1回通ったが、結局一度も薬は飲まなかった。そうしている間にも症状は一向に治まらず、とうとう有給休暇がゼロになってしまった。

私はもう辞めるしかないと思った。それを伝えると、当時の上司は私に「休職」を勧めてくれた。

そして2月、私はクリニックを変えた。

そこは数名の医師が在職していて、待合室も広く、患者の数も多かった。担当の医師はパソコンを一度も見ずに私の話を聴いてくれた。そして「つらければ休職の診断書を書きましょう」と提案してくれた。この人は信用できると思った。

私はその日初めて薬を飲んだ。少しだけ楽になった。

トントン拍子に診断書を手に入れた私は、その年の4月~5月半ばまで休職した。結果から言うと、これは大成功だった。

1ヶ月半休んだあとの出勤は、とてもつらかった。前日の夜は一睡もできず、結局初日は休んでしまった。けれど思いの外、会社は私に暖かく接してくれた。当時、大人数がまとめて退社していたこともあり、これ以上人を減らしたくなかったのだと思う。

そこに漬け込み、私は週2勤務を勝ち取った。正確には「来れる日だけ来る」という契約だ。おそらく会社としては3ヶ月くらいの短期間を見込んでOKしたのかもしれないが、復帰から1年半が経過した今でも私はこの契約を続けている。我ながら、あのときの私は冴えていた。

 

今も朝起きることはとてもつらい。がんばれば起きられるが、ふだんは10時が限界だ。けれど夜は眠れるようになったし、勝手に涙が出ることもなくなった。記憶力は戻らないけれど、その分なんでも記録する癖がついた。おかげで仕事に困ることは格段に少なくなった。

今は薬の減薬をしている。一時期60mgまで増えてしまったサインバルタだが、今は20mgを隔日投与するところまで減らした。早ければ4月には0にできるだろう。

 

私なりに、うつ病の発症ポイントを考えると、以下の3つが挙げられる。

  1. 心身ともに忙しい生活を1年弱続けた ←原因
  2. チームリーダーから解放された    ←きっかけ
  3. もともとうつ病になりやすい性質だった ←根本原因

 

原因は間違いなく2年目のチームリーダー業務だろう。食事もゆっくり摂れず、睡眠も短く、私が思う以上に負担は大きかったのかもしれない。

きっかけはチームリーダーから解放されたこと。忙しいときは気づかなかった諸々の負荷に気づいてしまうだけの「ゆとり」を手に入れてしまったこと。今でも不思議なのだけれど、当時はあまりつらくなかったのだ。忙しいな、今日も遅いなとは思ったけれど、つらくはなかった。どちらかといえばチームリーダーから解放され、比較的ラクな業務をしていたころのほうが、つらい記憶として残っている。

たぶん私は忙しいときは興奮していて、血をダラダラ流していても気づかないのだ。やるべきことをやる目的意識というか、使命感というか、そういうもののほうが勝ってしまう。そして寝床に帰ってから大出血に気づいて死ぬタイプなんだと思う。

 そう、根本原因は「私がそういう性質である」ということだ。うつ病は甘えではない。負荷を受け続けた人間の末路だ。けれど同じ負荷を受けても、比喩でも何でもなくケロリとしている人もいる。違いを考えると「性質」としか思えないのだ。

私は完璧主義者だ。心配性で、ネガティブだ。だから何かをするときは必要以上にやってしまう。120点のものを目指してしまう。損をしていると感じることも多々あるが、やらないまま過ごしているときの不安とか心配とか、そういう気持ちに比べたら、少しくらい無駄になってもやりすぎたほうが安心できる。当然仕事もそうだった。つまり、自ら負荷を強くしがちなのだ。

今の勤務体制の良いところは「あまり負荷を強くできない」というところだと思う。週2勤務だから、仕事量もそんなにない。あるときはあるけど、だいたい1日で終わる。1日頑張ったら、次の日は休んで好きなことだけしている。だから負荷を強くしようとしても、負荷自体が存在しない。

あの頃に比べたら給料は1/3になったけれど、心も身体もずっと元気だ。そして私にはそっちのほうがよほど有意義に思える。